縁あって今年からとあるマンションの管理組合理事会に出ているのだけど、これがなかなか興味深い。
保守派と革新派があり、利害の対立があり、リアルな自転車置き場の議論があり、外的環境の変化——たとえば民泊に対応しつつ、予算と実績・収入と支出をバランスさせねばならず、なにがしか合意を得てことを進めないといけない。顔の広い人がおり、実務能力のあるがおり、理屈の通じない頑固なじじいがいる。まさに政治のミニチュアなのだなあということを強く思う。有権者の規模が小さいだけで。
有権者数(組合員)も理事会も人数が少ない分、議論になると発言力が強い人の制圧感などをリアルに感じられる。参加したばかりの自分は吹けば飛ぶような発言力しかない。
でもそこでちゃんと理論立てて話ができると注目を集められる。ちゃんと聞いてもらえる。ダイレクトな反応が返ってくるのはなかなか面白い。
思うに、管理組合といえば面倒くさいものの代表例と認識される節があるけれど、これは政治への無関心につながるところがあるんじゃないか。
「マンションは管理を買え」という言葉があるけど、これを政治に例えるなら「住む国を自由に選べるとしたら、よりよい政治が行われている国を選ぶべき」となる。なんとも当たり前のことだ。誰が進んで北朝鮮やシリアに住みたいと思うのか。
普段の生活ではあまり意識しない共用部の維持管理であるとか、必要な長期修繕計画の策定・見直し・遂行であるとか、それは誰かがやっている。入居者はその恩恵を被る立場にある。賃貸であれば話は別だが、区分所有であればその意思決定の責任の一端は間違いなく入居者本人にある。その責任に無関心でいいのだろうか。自分に最も身近な意思決定に無関心でいられるとしたら、どうして日本国としての意思決定に関心を持てるのだろう。
管理組合は面倒くさい=基本フリーライドしておけばいんじゃね?という姿勢には政治の無関心と根源的につながると思う。いつか本当に困ったときに気がつくんじゃないだろうか。それが身近には、自転車置き場や共用部の使い方として現れるのだと思った。