はてなハイクのサービス終了が告知された。
最近は書くのも1ヶ月に多くて数度くらいになっていたけど、自分の人生でいちばん愛着を持って使っていたサービスだなあと思う。今日はウイスキーを傾けつつハイクと自分の10年について書いてみたい。
ハイクとわたし
はてなハイクを使い始めたのはいつだったか調べてみたところ、2008年だった。これが当時の書き込み。
午前4時に書いてるの、きっと相当ヒマだったのだと思う。当時の自分は付き合っていた人と別れた後で、年末も実家に帰らず布団でごろごろしてた様子が伺える。ちなみに別れた彼女は2ヶ月後に必死で謝ってよりを戻してもらい、のちに結婚し嫁さんになった。嫁さんもはてなハイカーで、何例かあったというハイク婚ではなかったけれど二人で楽しくハイクで遊んでいた。
2008年といえば会社で働き出して1年が経ち、初めて一人暮らしを始めた年で、自分が独り立ちしたと言える年だったように思う。不思議な縁はあるもので、当時住んでいた家の近所にはてなハイカーのid:kiku-chanさんが住んでいた。
こんな金ピカのファンキーなおっさんの看板が縁をつなぐとは思わなんだ。そこからハイクけいおん部の活動に混ぜてもらって、こないだも久々にセッションさせてもらった(手前左が自分)。自分がネットの"オフ会"というものに参加したのは今の所ハイクけいおん部だけなので、ハイクはネット上の自分がリアルに踏み出した唯一の場所である。
その他にも会社では去年転職するまでちょうど10年勤めたとかいうのもあり、色々ひっくるめて自分の中の1つの時代の象徴だと言えるのかもしれないなー。という感慨がハイクに対してはある。
ハイクのやさしさについて
陳腐な言葉だけど、はてなハイクというのはやさしいサービスだったなーという印象がある。それはユーザ数が少ない(過疎)による所も大きくて、賛否が議論されたのも知っているけど、結果的にユーザにそういう印象を与えていたことに変わりはないと思う。どうあれ。
一時期の深夜はマジで誰もいなくて(SPAMですら)最新書き込みが1時間前みたいなことも普通にあった記憶がある。そういう時TOPページでじゃれあいしてると何故かやたらに楽しかった。ハイクはフォロー関係がないユーザ同士でキーワードも違うポストが交錯することは普通はないんだけど、TOPページだけは例外で、そこには全てのユーザのポストが流れてくるので、場の雰囲気が形成されていた(そこから雰囲気を感じ取るユーザが多くいた)と理解している。「おはよう」「おやすみ」「ひとりごと」「何かを受信」「いただきます」を流れていくポストや絵師さんの絵をみてそんなことを思っていた(まあ、それはSPAMが来た時に破壊されてしまったわけなんだけど)。Twitterのように独りの状態から始まるんじゃなくて、場があってからユーザがあるのはハイクのやさしさの源泉だったんじゃないかな。
この話をするとだいたいシステム面の不備とか仕様の話になるんだけど、それはid:LiveinTokyoがいい尽くしているのでそちらに譲りたい。
あの雰囲気は1000人以上にスケールするものでなかったのは事実だと思う。悪手とは言いたくないけど、仕方がない。
ハイクのない世界で俺たちは
自分はid:auientという名前の他に実名で活動してるアカウントもあり、Twitterは実名アカウントがある。古いタイプの人間なので匿名/実名で情報をコントロールしているつもりなのだが、それが故にハイクがなくなるのは困るのだ。実名垢にはそぐわないポエム()を書いてよかったのがハイクだから。どこかに避難するかーみたいな考え方もあるけど、今のコミュニティがそのまま移動するとは考えにくいので(そしてコミュニティのない所でid:auientとして発言することに意味があるとは思えないので)このアカウントでのつぶやきはおしまいかなあ、さびしいけれど。これだけは未だ今後どうするか考えられていない。サービス終了までに考えたいところだ。