ここらへんのエントリを見て書きたくなったお話。
世の中には2種類のソフトウェア企業がある
ソフトウェアを開発している企業は2種類に分類できる。(A)自分のソフトウェアを作っている企業と、(B)他人のソフトウェアを作っている企業である。
前者(A)は作ったソフトウェアを自分で売ったり運用したりして利益を得ている企業である。はてな等Web屋の文脈でイメージされるが、ATOKのジャストシステムや勘定奉行のOBCなどパッケージ主力の会社はこちら。
対して後者(B)は受託開発を主力とする企業である。いわゆるSIerに代表されるが、Web制作会社もどちらかといえばこっちだろう。Webという単語に惑わされると話を読み違えるので注意されたい。
(※はてなも受託開発してるし、実際には白黒ハッキリ分けられるとは限らないが、どっちが主力かということで単純化して考えてほしい)
この違いはビジネスモデルの違いであり、労働環境やソフトウェアの開発環境、それを決める戦略に影響を及ぼす。以下、ざっくりと違いを並べる。
(A)自分のソフトウェアを作るビジネスの特徴
- 作ったソフトが売れると(サービスが利用されると)儲かる
- より良いものはより沢山売れて、たくさん儲かる
- ソフトは自分のものなので、言語や環境の決定権を持つ。自由度が高い
- ソフトをより良くしようとすることに注力する(価値の最大化)
- ソフトが売れないと死ぬ
(B)他人のソフトウェアを作るビジネスの特徴
- オーダーメイドのソフトを作る
- ソフトは客のものなので、言語や環境の決定権は客にある
- オーダーメイドなので定価がない。お値段を決める必要がある。
- お値段の根拠に一番説得力のあるのは労働時間なので、労働時間に比例して決めることにする(人月の始まり)
- 労働時間が増えるとたくさん儲かる。労働時間を増やそうとする。(労働力=稼働の最大化)
- オーダーをもらえないと死ぬ
負け犬プログラマーの歩み/人生の負け組crapp 氏の書くことについて
技術を高めることに関心があるようなので、氏には(A)のビジネス環境の方が向いているように思える。しかし個人事業主で、しかも自分のサービス/プロダクトで勝負しているようには見えないので、(B)のビジネスをせざるを得ないところに不幸の種がある。せめて(A)で成功している企業から(B)の仕事を請けるべきである。労働環境や技術などでおこぼれがもらえるからである。(B)であるSIerから(B)の仕事を請けたのでは、氏が幸せになる要素がほとんどない。氏の個人事業主としての営業力でよりよい仕事が得られることを願うばかりである。もちろん、自分で(A)のビジネスを立ち上げられるのなら、それが一番なのは言うまでもない。
また氏はSIer憎しで(意図的にかもしれないが)問題をごっちゃにしている節がある。開発要員を協力会社に頼るケースが多いのは、元を辿れば日本の労働法に原因があると自分は思う。(B)のビジネスでは、開発要員を正社員で揃えると解雇できないので固定費が上がり、オーダーが足りずに会社ごと死ぬ確率が上がってしまう。技術と業務知識、どっちを残すかと考えると、外注できない方を残さざるを得ないのも当然だろう。
SlackをSIerに導入した件についてのssig33氏のコメント
小野和俊のブログ:SlackをSIerに導入した話。そしてSIerの未来
クレカまわりとデータ転送ミドルウェアの売り上げ構成比率が大きく、ソリューション事業はあまり大きくないという性質が大きいと思う
2016/11/29 00:20
このコメントは大いに首肯するところで、セゾン情報はSIerといいつつ(B)ではなく(A)に近いのではないか?ということを指摘している。
自社製品開発であれば客先常駐することはないだろう。製品価値の最大化もビジネスとして合理的である。しかしSIerとして一般化できる話かというと疑問に思う。(B)のビジネスをしているSIerとは環境が違いすぎるからだ。とはいえ、引き続きSIerの未来についてエントリがあるようなので期待して待ちたい。
SIer による SIer 評
自分は数千人規模のSIerでリアルに10年泥をやってる。仕事は2次請け以降が多い。下請けを探して採ったり切ったりする。自分は運がよくて最近はWeb系の開発が多く、gitやSlackとか、最近流行のなんかは普通に使う。プログラムも書く(コードレビュー、テストレビューにとられる時間が多くなったが)。ユニットテストも導入した。ただとなりの部署には、20年COBOLで同じシステム一筋なおじさんもいたりする。
……から見たSIerの話。書きぶりはともかく表面的なところは [SIer]エンジニアから見たSIerがさほどクソではない理由 が割と近しいので譲るとして、それ以外の点でいうと、
人の役に立つシステムを作っているという矜持
が一番大きいかなあ。
小野さんのブログのなかで
日本のITの大半がSIなのだから、SIが終わるということは、基本的には日本のITが終わるということだ。
という一文があって、これはそう誇張でないと思っている。なぜなら、月末にちゃんと給料が振り込まれるのも、今自宅のPCに電力が供給されるのも、コンビニに物資が配達されるのも、工場でガジェットがちゃんと生産されるのも、JRの在来線が時間通り運行されるのも、市役所で色んな手続きができるのも。全てSIerが作ったシステムが安定稼働しているからなのだから。おおよそぱっと目に入る所の裏に隠れているシステムはだいたいSIerが作ってる。まあパッケージかもしれんけど(それもNECや富士通製かもしれない)。そういう普通の社会に貢献している意義はそんじょそこらのWeb屋には遠く及ばない領域にいると思っている。
自分はDeNAのWELQを軽蔑する。(A)のソシャゲが儲からなくなった企業の哀れな姿だと思う(それどころかこの件は反社会的といえるレベルだが)。また重課金者をターゲットにしたゲームも潔しとしない。最高の技術でパチンコ中毒者を再生産するのと、COBOLでレガシーなシステムの保守をするのなら、自分は後者を選ぶ。それが自分の矜持だ。
もちろんクソなところはたくさんある。書ききれないほど。最高の技術で、クソなことに一切煩わされず、人の役に立つものが作れるなら一番良い。でも現実には何かに折り合いをつけなくちゃいけなくて、折り合いを付けた人がSIerの中から社会の歯車を回しているんだ。