auientの日常

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次男と未練

ファンタジスタの次男がもうすぐ小学生になる。

相変わらず彼は体を動かすのが好きで、公園に遊びに行こうとせがむことが増えた。今日はボールを持って出かけたのだが、強風で池にボールが落ちてしまいショックで泣いていた。(その後無事ボールは回収できた)

彼の最近のお気に入りはかくれんぼとボール遊びと肩車である。「お庭でかくれんぼができるおうちが欲しい」と無邪気に言う。保育園の送りと迎えは8割肩車を要求される。彼の肌はとてもきめ細やかでさわり心地がよく、特にふくらはぎは絶品だ。子供の肌は本当に世の中にあるもののうちで純粋に「よいもの」の1つだと思う。小学生になってしまえばこのように触れることも減っていくだろうと、名残惜しいような気持ちで肩車をしている。

彼は体を動かしたい人間なので、雨の日は家の中が騒がしくなる。集合住宅に住む身なので何度も注意するものの、一度言ってわかるような人間でないのもまた彼なのだ。騒音に疲れ何度も同じことを繰り返す不毛さにうんざりして、そしてまた私は実家のことを思い出している。

実家は都下にしては広い敷地に建っており、"体育館"と呼ばれる広いホールがあった。庭は道路に面しておらず2〜3軒の家が建てられるほど広く、木がたくさん生えていた。祖父母が死んで空き家になっていた家を、去年の夏に処分したのである。所有者は私以外の家族でこれに至るまで長い経緯を辿った末の話だった。

コロナ禍が日本/世界を襲う前から処分することが決まっていた家をなぜ思い出すのかといえば、それが次男と暮らすのにぴったりだったと今になって思うからだ。雨に日に体を動かしボール遊びもできるほどの体育館。おもちゃを出しっぱなしにしておける子供部屋。かくれんぼができる庭。全てあった。自分のものでなかったにせよ、何かやりようがあったのではないかという思いが捨てきれずにいて、それが今、非常にもどかしい。

土地を処分し家は壊されその上に他人の家が既に建った後なのである。捨てずに持っていてどうにもならないこの気持ち。コロナ禍が来るのがもし1年早かったら、などと考えてしまって本当にどうしようもない。どうしようもない気持ちをここに書き留めておく。

元から自分のものではなかった。祖父母が建てた家はお金にかわり祖父母の子供のために使われる。それが筋である。しかし、自分が幼い頃を過ごした家と今の次男が必要としている家が重なり、それが目の前で失われてしまったことに、なんともいえない喪失感を抱いている。

願わくば、ここに書いたことを区切りとして、私の未練を断ち切れますように。

 

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